「ラジオの時間」とか「みんなの家」とか、三谷幸喜作品ってお腹がこそばゆい感じしません?
THE有頂天ホテル見たけどね。その感想はさておき・・・
クリエーションやってて、そりゃいつだってエーもんつくりたいさーって皆思ってるよね。
それがマスに出るまでに、ホンっまに大小さまざまなお立場のお言葉でテコ入れされ続け、完成作品を例えば初心の頃の自分に見せてあげられたのなら、きっと不思議なモノが目の前にある時の様な気分になって、ものっすごいべたべたな鈍―い言葉が出るやろーね。
「なんでなん・・・?」って。
そんな心当たりいっぱいあるでしょ。
もっともっとこだわりたかったのにって、完成度上げたかったのにって。
自分の中で、70%の満足すら夢のまた夢だったりしません?
もっと他のところに価値を見出せたり、「そんなもんさ」っとか言ってみたりする大人な意見もみーんなちゃんとわかってるわな。
でも一団体の純粋無垢なニューフェース、クリエーターたちって、本心はツライやろ。
気持ちわかるよ。
そんなストレートな感情を、びっくりするくらい極端に展開され続ける三谷幸喜作品って、始めは「はは・・そんなばかな・・。」と鼻で笑ってるんだけど、そのうち、「まあ・・あるわな・・・・いや、あるな。」ってだんだん本気になっていろんな現実と重ねてしまいます。とくに、「ラジオの時間」と、「みんなの家」。
存続が窮地に立ってしまって、しかも企画の立場の弱いブランドのデザイナーって、
どんな気持ちで三谷映画を見るんやろー。
営業とかが急にデザインに口出ししてくるんやないの。過去に売れたパターンの要素をもってきたりして。企画からみたら、恐ろしくダサダサなモノを本気で作れって言ってくるという・・・
ホンマそんなところ目にするんやけど。他人事やない。
そういえば最近のテレビドラマでも、過去の大作のリメイク多くない??ぜんぜんいけてないよな。視聴率取れてないんかな?関係ないかな?
当たり前に共通する最終目的が売上だから、うっかり土俵の違う立場の人たちどうしが、うっかり一線を越えてしまって、うっかり口を出し合うシーンは、実はザラかも。
「ラジオの時間」で、なんとか最後に完成して、「俺は何をやってんだろー」とか、「いつかはいい物がつくれるんだろーか」とか帰り際にぼやいてるシーンがある。そこへ、ラジオを聴いていたトラックの運ちゃんが、涙ながらに「感動した!」とか言って握手をもとめてくるんやけど。
ほんっとに、こんな感じやね。
こだわったモノが売れず、流して作ったモノがやたら売れたりします。
受け手がこだわって欲しいポイントって、ちゃんと考えてる??
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コメント
自分はWebディレクターなので、デザイナー、プログラマー等、実際に作り出してくれる人の意見を代弁して戦うのが、重要な仕事です。
代替案、折衷案、捨て案等を事前に想定・準備して、押して引いて、なんかもします。
その反面、クライアントの意向、本来考えるべきユーザの満足等を考慮し、システムの仕様に沿い、デザインをあてがうと、必ずしもこちらの正論が正解でない場合も、多い。
みんなが納得する正解が出ることは決して多くない。Webはトレードオフだらけなんです。だから、全体をまんべんなく80パーセントくらい理解して、より正解に近いものをジャッジする責任者=ディレクターが重要なのね〜(偉そうですみません)
投稿: gakk11 | 2006年2月 9日 (木) 00時57分
そうそう。ディレクター職ってホンマ大事ね。
マーチャンダイザーやディレクターって、それぞれの部署と部署のパイプやと思う。
ラジオの時間だと西村雅彦の役がそれにあたるよね。
投稿: Gigli | 2006年2月 9日 (木) 03時14分